尊王思想(勤王)とは何か?

幕末、激動の日本を動かし、倒幕を成し遂げた志士たち。彼らのすべてに共通するのは尊王思想です。

長州の木戸孝允や高杉晋作、薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬などはいうまでもなく皆、尊王思想家です。佐賀藩では江藤新平、副島種臣、大隈重信など全員です。

下級の武士たちだけでなく、各藩のお殿様、たとえば島津、毛利、山内、鍋島といったすべてのお殿様もすべて尊王思想の持ち主です。

倒幕派ではないですが、徳川慶喜をはじめとする歴代将軍もそうですし、あの新選組にしても尊王思想の持ち主であったことは日本史を学ぶ上で確実におさえておくポイントだと言えます。

楠木正成親子の別れ
(楠木正成親子、桜井の別れ。天皇の命令は絶対として自分の命を投げうった楠木正成は
多くの武士の崇拝の対象となった。この絵馬は嬉野にある豊玉姫神社で見つけたものです。)

慶喜は尊王思想発祥の地、水戸藩の出身で、尊王思想に篤い水戸斉昭の息子です。他の将軍は本心は朝廷を配下に置いてコントロールしていると思っていたでしょうが、もし天皇が命令を下だしてくるならば臣下として受けるのは当たり前の立場にいます。新選組は佐幕思想のみに凝り固まった軍事集団だと考えてしまいがちですが、幕府の上には朝廷があることをしっかりと認識しており、実際蛤御門の変では長州から朝廷を守るために戦っています。

つまり当時のある程度教育を受けた日本人であれば、ほぼ100%尊王思想の持ち主だったと言って良いでしょう。

尊王思想というイデオロギーが存在していたからこそ明治維新という革命が成功したのです。もし日本に尊王思想が存在しなければ強い者が力で押さえつけるという軍事政権が半永久的に繰り返されたかもしれません。

天皇という概念を失礼を顧みず言わせていただければ、国家の父という感覚に近いのではないでしょうか。息子が大きくなれば親父より力が強くなり、喧嘩をすれば力で勝つこともできます。しかし普通、息子はそれをしません。親父の権威を尊重するからです。親父を暴力で傷つけるのは禁じ手であり、それを犯す息子がいるとすれば良心の呵責に苦しみ、周囲から総スカンを喰うことになるでしょう。

尊王思想とはイデオロギーであり宗教です。

尊王思想により敵対するはずの長州藩と水戸藩が手を結んだ(成破の盟約)ようにイデオロギーは藩や国という物理的枠組みを超えて結びつきます。世界史をかじったことのある方ならイスラム教が地中海周辺を瞬く間に席巻し、大帝国を築いたことを連想するでしょう。

国家がまとまり、外敵を防ぎ、長期間安定するためには、国家としての宗教を必要とします。

日本でその役目を果たしたのが、天皇であり、尊王思想(この言葉ができたのは江戸時代だと思いますが)だったわけです。

国家の成立当初、各地の豪族たちが覇権を争い最終的に全国を統一したのが天皇であり、大化の改新により隋や唐の律令制度を模範として土地と人民は公地公民とされました。これは人も土地もすべてが天皇の持ち物であるということで、私有財産という個人のわがままを否定して国家を統一しようというイデオロギーです。ただ一人の指導者を長としてその下に万民が平等な社会を作ることを目指せばきっと最高の国ができると誰もが思ったことでしょう。

しかしその理想社会は長く続かず、藤原氏が荘園制度を利用し、私有財産を蓄えていくことになります。結局共産主義は資本主義の侵入を阻むことができない道理なのでしょう。やがて私有財産と権力を守るために武士が雇われ、その武士によって日本が支配されることになってしまいます。

武士による政治に最初に異議をとなえたのが後鳥羽上皇(承久の乱)であり、その後、後醍醐天皇(建武の新政)も立ち上がりますが、結局武力優位の軍事政権という体質を変えることは幕末までだれもきませんでした。

幕末ペリーが来るに至って、力を集中させて外国と戦うために国家がまとまる必要が出てきました。そのまとまりを生み出すのに必要とされるようになったイデオロギーが、尊王思想というわけです。

強い外敵と戦うにはオールジャパンとして一丸となるしかありません。そのオールジャパン体制を可能にしたのが日本人の共通思想である尊王思想だったというわけです。

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日本は第二次大戦で敗れて米国の支配を受けることになり、政教分離の政策がとられ天皇は象徴となりました。尊王思想と政治が分離されることになり、今では尊王という意識をもっている日本人も少ないでしょう。国が一丸となり外国と本気で戦う必要がなくなり、国家宗教がなくても国の形をまとめることができるのですから、その分個人の自由が許されるようなりきっと良かったのでしょう。

ただここまで述べてきたように我々の歴史を理解する上で尊王思想という感覚を理解する必要はありますし、将来天皇が再び政治を動かす世の中はやってこないとしても日本人の国を想う心を天皇とともに維持していくべきだと思います。世界遺産はもちろん、近年名所旧跡など史跡を残そうという動きが活発ですが、考えてみればそれはすべて心を残すための手がかりとするためのものなのです。尊王思想という心を保存するためには天皇の存在が不可欠であることはいうまでもありません。それが私自身、歴史を学ぶ過程で得られたひとつの結論でした。

注)司馬遼太郎先生によれば『尊王』は思想的なもの。『勤王』はさらに行動も含む意味があるとなっていますが、ここでは両者を厳密に区別はしていません。また『尊皇』『勤皇』はそれらの中国語をもとに日本で生まれた言葉だと思いますが、同様に区別はしていません。

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